長文読解問題

あゝ、週休二日ってなんて良いものだろう。土曜の今日をまるまる休養に充てても、まだ明日も休みとは。。。朝早い時間帯に白息を吐きながら列車に乗り込んで、帰り着く頃にはもう駅舎に灯りがついている。見上げると月はまだ白いとはいえ、空はほとんど暮れている。本業も毎日繰り返しのようなものだけれど、アルバイトはもっと繰り返し感が強い。同じ仕事を同じ速さで同じ時間だけ、する。だから、カレンダーの月曜から金曜はうすいグレーでのっぺりと塗りつぶしたような気がする。で、土日のところが白く明るく空けてある。巧いことしたものだなと思う。
金曜、久々に顔が引きつりそうになった。(いや、少しは引きつっていたかも。)会話はキャッチボールという俗な例えがあるけれど。。。ボールを持つ相手に、投げてくださいと言えば「投げない」と答えられ。ではこちらから新しいボールを投げましょうかと言うと「いやだ」と言われ。そう言わず投げてくださいよと下手に出れば「そっちがボールを取りに来い」と。じゃあ他の人を呼んでキャッチボールしてみましょうかと言えば「そんなことできない」ならば、グラブを地面に叩きつけてやろうと相手をにらむと、両手で頭を覆ってしゃがみ込む。そして投げない。隠しているけれど、野球を知らないのだ。ボールの投げ方が分らないのだ。面倒くさい。
コミュ力は修練を積み、レベルUPしてきたつもりだったけど、まだまだだな。“かまってちゃん”の扱いは上手いと思うんだけど。自尊心と羞恥心と無知の壁は防弾三重構造、分厚くて高い。
それにしても、いろんな人がいる。いろんな生活がある。そういう人生を垣間見る仕事なので、つい自分をも省みてしまう。少しばかり落ち込むこともあった。人生のボタンの掛け違いというようなものだろうか。但し、“もし”はあり得ない。最も無意味な妄想だ。それでも読書の切れ間に自分の過去を織り交ぜて、釜のご飯を底から混ぜるように、頭の中に無駄な考えをめぐらせてみる。
そうこうしているうちに、結果としての今の自分には都合良く納得して。地位とお金には無縁だけれど、安穏と基本的人権くらいは尊重された毎日を過ごしている。信念と化した愛。食物と音楽、そのほか娯楽要素による満足。知的充足。やはり自分は相当なオプティミストだ。

整理しないままに書いた文章は酷い。酷いけれど、そのままに書き付けるのがメモたる所以。今宵はえぐやむ不在のため(年度末の寄り合い。呑み。)、乱筆にて候。あゝ悪文、やゝ無情。

今日の晩ご飯:マスのムニエルらっきょうタルタルソース、粉ふきいもとあすっこソテー添え・白菜とにんじんとウィンナーのスープ・クスクスのサラダ